奥村式資産運用術

1980年代のバブルその1

バブル相場の過去のおさらいを続けています。
今回は、1983年から1987年にかけての、いわゆる伝説のバブルが発生している時期です。

この期間は長期間にわたって株価上昇しました。

6年半にも及ぶ期間でした。

この株価上昇のスタートは1983年3月です。昭和58年でした。

1983年がどんな年だったかというと。。。

東京ディーズニーランドが開園したのは4月、
任天堂がファミコンを発売したのが7月、
マイケルジャクソンのビートイット、ポリスのエブリーブレスユーテイクがヒット、
フラッシュダンスなどの映画がヒット、

そう、古き良き時代、といってピンとくる人もいるかもしれません。

この時代の日経平均の推移を確認しておきましょう。

1983年3月1日の日経平均は7989円でしたが、株価は順調に価格を上げていった様子がわかると思います。

この時の首相は中曽根康弘(在任1982/11/27-1987/11/6)、米国大統領はドナルドレーガン在任(1981/1/20-1989/1/20)です。

米国は、レーガノミックスと呼ばれた経済政策を進めました。
これは、経済活動における規制の撤廃で自由競争を強化を行うものです。

インフレを抑えるために金融引き締めを行い、軍事予算強化(スターウォーズ計画)も行ったため、巨額の財政赤字となりましたが、経済成長は復活しました。

日本では、対外的な国内市場の開放による輸入拡大が行われ、規制なども緩和されました。
海外から日本人の働きすぎと過剰な貿易黒字が避難され、
週休二日制も広がりをみせたのもこの時期です。

規制緩和と並行して行政改革も行われ財政支出の削減も行われました。

NTTや専売公社の改革も行われ、日本経済は物価安定しつつも発展した時期です。

特に1985年以降は、長期にわたって好景気が続きました。
その理由は、政府の財政ではなく、民間の設備投資によるもので、内需拡大型である点が、今までと異なる景気でした。

設備投資は、半導体、自動車、オフィスやリゾート施設が中心で、内需比率が上昇しました。

VTRが普及機にはいり、CDが登場した時期でもあり、家電は好調、円高による輸入車の激増もあり、非常に経済が回ってゆきます。

失業率も低下し、有効求人倍率も0.5台から1を超えてきたため、人手不足にもなりました。

構造改革が経済効果を生み出したわけです。

海外旅行者数は増加、スポーツクラブ需要も増加、グルメブームもあって外食も活況でした。

特に1986年1-4月にかけては、公定歩合が3回にわたって下げられたこともあって、
1987年1月には2万円に乗せました。

金利低下の影響で、不動産バブルが起きたのもこの時期です。

1987年時点で、日経平均のPERは50倍を超えていました。

同じ時期、PERをみるとNYダウは14倍、旧西ドイツでは11倍弱だったので、
海外と比較すると割高であったことがわかります。

一方では、不動産価格の上昇によって、企業保有する資産価値が高まったのは確かです。

Qレシオ(一株当たりの純資産を時価評価し、株価で割ったもの)は1を上回っており、株価は
この時点でも割安であったという見方もできます。

この年、私は証券会社に入社したのですが、まだまだ上がる、という主張が支配的でした。

実際、その後も順調に伸びたのです。

しかし、1987年10月に大暴落が起きます。

ブラックマンデーです。

この時の話は、次回に続けます。