バブルの研究2 1958
前回に引き続き、バブルのケーススタディです。
今回は、前回の1950年から8年ほど経過した1958年です。
1950年の時には、第一次産業の就業が構成比で過半(50.5%)でしたが、このころになると、40%を割るようになってきました。
代わって増えたのは、第3次産業です。
26.6%(1950)が、40%にまで増えました。
実質経済成長率も7-8%と安定し、一人あたりの名目GDPも伸び始めました。
1950年代から戦後の高度成長は始まっており、これがオイルショックまで続きます。
とはいえ、1958年は、一人あたりGDPをみると米国を100として(参考までにフランス比も掲載します)、
1950年4%(19%)、1958年8%(22%)でした。
フランス比で一人あたりGDPを抜くのは1982年、米国比で抜くのは1986年です。
この時の凄い期間の相場をみておきましょう。
1958年1月4日に475.2円だった相場は、1291日後の1961年7月18日に
1829.74まで上昇(385%上昇)しました。
その154日後、1961年12月19日に1258円と最安値を付けますが、その後また上昇を続けます。
この上昇カーブは、とても重要です。直線ではなく、曲線で上昇していますね。
指数関数的、あるいはエクスポーネンシャルカーブと呼びます。
相場もテクノロジーも、歴史的にエクスポーネンシャルカーブで説明できるのです。
直線的に伸びるのではなく、等比で伸びることになります。
ここでは、先ほどのグラスに、日々0.016%で伸びるエクスポーネンシャルカーブを重ねてみます。
さて、前回同様、このころの時代背景も調べてみました。
1956年、国連に加盟しました。
1940年に開催が決まっていた東京オリンピックは、戦争により開催権を返上していますが、1954年に立候補するも翌年ローマに敗戦、1959年に再度立候補に挑戦しデトロイト、ウィーン、ブリュッセルを破ってめでたく勝利し1964年に開催しました。
1958年としての出来事としては、以下のものが調べた範囲で特記したいものです。
東京通信工業がソニーに社名変更、東証1部に上場.
イラク革命で王家が滅びイラク共和国樹立
東京タワー完成
欧州経済共同体(EEC)発足
この中では、ECの全身となるEECが重要ですが、イギリスは反発して独自の経済共同体(EFTA)を結成しています。