ブラックマンデー
今回は、87年10月の暴落をおさらいしましょう。
丁度、今週は大きめの下落が起こっていますが、この程度は暴落ではありません。
普通の相場の一日、として考えればよい範囲です。
(82年10月から株価が上昇に転じ、85年9月のプラザ合意で金融緩和を得て上昇が加速、87年1月には2万円を突破、そして10月に2万円台後半に至った経緯は、過去のblogをご参照ください)。
1987年10月まで順調だった日経平均株価は、10月20日に一気に暴落しました。
前日にNYでおきた大暴落ブラックマンデーがあったのです。
10月19日、NY市場は、一日で22.6%もNYdowが下落しました。
これは、歴史上最大の暴落です。
1929年に起きた歴史的な大恐慌の時でさえ、12.8%程度の下げだったのですから、
半端ではない大暴落だったのです。
これほどの大暴落ですから、世界に伝搬しました。
まずは、当時の株価をみてみましょう。
日欧米の株価を、ブラックマンデー直前から、明確に回復したと言えるまでの期間をとり、
日欧米=NK225,NYdow,CAC(仏の株価指数)を用い、10月1日を100として指数化しました。
これをみると、いろいろなことがわかります。
暴落は伝搬したこと、一定の期間ダメージがあったこと、一定の期間とは2-3カ月であること、
などなど。
ついでに書くと、10/1時点での当時の指数は、NK225=25721 NYdow=2639 CAC 1452で、
現在(2024/3/11)の指数は、NK225 38760(1.5倍),NYdow38722(14.7倍)、VAV8028(5.5倍)
となっていて、NK225だけがまだまだ伸び悩んでいることもわかります。
ところで、この暴落は興味深いことに、発生した理由が明らかではありません。
相場の大きな下落、すなわち暴落は、ふつうは何か明確なきっかけがあります。
たとえば、日本だと、地震とか津波のような一時災害、それに関係する原発の爆発とか大きな二次災害などは明確に相場を暴落させましたね。
米国だと、失望する経済指標の発表、戦争やテロ、意表を突く大統領令などがきっかけになり得ます。
でも、ブラックマンデーは違いました。まったくふつうの一日からスタートしたのです。
いざ市場が始まったときにも、普段のような、ようある程度の下落、せいぜい、普通よりは少し下げがきついかな、という程度からスタートしただけなのです。
でも、取引の最後の90分で異変がおきました。下落が加速したのです。下落が、加速しながら進むものだから、売りが売りを呼び、取引量があまりに積り、日本よりコンピュータ化が進んでいた米国でさえも注文の処理が追い付かず、市場は混乱しました。
結果、NYダウは508ドル(22.6%)の下げで終わります。508ドルは、いまのNYダウの4万円の水準であれば、1.2%程度なのですが、当時のNYダウは2500ドルでしたから、下落は22.6%もの比率でした。
今の日経平均3万9千円に対して、22.6%の下落をすると、8800円です。一日で日経平均が8800円下がるなんて、想像もできないですよね。
日本では日経平均が1000円下がったら大騒ぎするわけですから、当時の米株はその9倍も下落した、ということになります。
下がった理由は、あと解釈ではいろいろあります。米ドルの評価、金利の関与、投機バブルなどなど。興味ある方は調べてみると良いでしょう。
少なくとも、直接の引き金は、先物指数の下げによる自動売買の(自動的に売り注文を出す)順張り対応でした。
そこで、NY証券取引所は、サーキットブレーカーの仕組みを導入しました。
売りが売りを呼んで一定の幅で一気に下げた場合、市場での取引が一定時間停止される、という仕組みです。
停止されると頭が冷えますから、売りが売りを呼ぶのをstopできるというわけです。
電気を使いすぎるとブレーカーが飛んで、家の電気が止まるのをサーキットブレーカーといいますが、いったん電化製品のSWを全部offにしてから、再開しますよね。それと同じことです。
米国でいち早く、導入されたこのルールは、当初このようなものでした。
NYdow指数が 150ポイント下落したら取引を2時間停止、
250ポイント下落した時点で取引を1時間停止.
その後、ルールは数度修正され、今に至っています。
日本でも、1994年に値幅制限が導入され、先物が一定の幅を超えて上限下限に触れると10分の中断を行うことがルール化されました。
ですので、少なくともこれほどの暴落は、少なくとも一日で起こることは、今後起こり得ません。